B型生活

就労継続支援B型事業所で働く男のつぶやき

帰るべきところ

 この前姉からLINEが来ていた。LINE通話も2件来ていて、なんだろうとLINEを見てみると何の変哲もない近況報告であった。それはいいとしてLINE通話2件とは何の急用だろうと姉に電話をかけた。

 

 どうやらLINEがなかなか既読にならないので死んでいるんじゃないかと心配になってかけたという。LINEを2、3日未読にしただけで勝手に殺されても困るが、母親を亡くして少しナーバスになっているのだろう。

 

 まあ遠く実家を離れて独り暮らしをしている以上孤独死の可能性はついて回る。以前階段から滑り落ちて脊椎間圧迫骨折になったことがある。あれも打ちどころが悪かったら死んでいる。風呂場も危ない。聞くところによると風呂場での溺死も孤独死の件数としては馬鹿にならないらしい。

 

 孤独死しないためには孤独にならないのが一番だが残念ながら身を寄せる場所がない。両親が死んで実家は弟夫婦のものになった。だから実家に帰るとすれば慶弔事のみになった。

 

 帰るべき故郷を失うことをドイツ語ではハイマートロスというが、自分がまさにそれである。別に実家に固執している訳ではないが実家の友人に会えないのがつらい。友達のところに遊びに行く経済的余裕がない。

 

 精神病を患っていろいろなものを失ったが、唯一残った交友関係は失いたくない。これを失ったらそれこそ絶望だ。今はまだいい。しかしお互い歳をとると今までのように自由に行き来できなくなる。顔が見たい。電話じゃなくて直接話がしたい。

 

 そういう具合で今ハイマートロスの悲哀をひしひしと?感じている。普段は気にならないがふと不安に襲われる。故郷喪失プラス孤独死の恐怖のダブルコンボである。考えてもしょうがない。今まで今で懸命に生きるだけだ。死ぬ時は死ぬ時と開き直ってポジティブに考えないとだめだ。死んだ後のことはもう自分の手を離れている。

 

 母が死んでから死について考えることが多い。来し方行く末を思う。感傷的になり過ぎているのかもしれない。父の死の時は特に何も考えなかった。父は他人に迷惑をかけ回っていたからである。一方母は善良な人だった。天国があるなら母はそこにいるだろう。

 

 また明日から作業所へ通所する。作業をしている時は余計なことを考えなくてもいい。淡々と作業するだけである。独りでいると時々落とし穴のように暗いことを考えることがある。今日はそういう日であるから読者諸兄にはご寛恕願いたい。明日は普段の日記を書く予定である。